ご挨拶

 急性骨髄性白血病。2019年9月5日に確定診断を受けました。こころの動きも含めて記す事で病気の事を知っていただき僅かでも役に立てていただけたら幸いだと思います。
 窪田幸子

 注)私の白血病の型は染色体の8番と21番の転座(一部が入れ替る型 t(8:21)(q22;q22.1)です。
 治療につきましては、急性骨髄性白血病という病名であっても様々な型があるなど異なります。また同じ経過を辿るとも言えませんので必ずしも参考になるものではありません。その点につきましては記録としてご利用頂ければと思います。

はじまり

杉並区国民健康診査 50代に入り、年末年始に受けていた健康診断をインフルエンザ流行時期を避けて8月前後に変更した。人間ドックは経済的に難しく、杉並区区民健康診査、歯科健診、婦人科健診という習慣が出来た。職場の健診がない自営業者という自覚が芽生えた30代半ば頃だった。
  
 母は「健康診断なんか受けるとかえって病気になるわよ」と反対した。曽祖父は97歳、曽祖母は96歳を超えた。長生きしていた大伯母達が盆暮に「私たちの時代は健康診断なんてなくてもこの歳まで長生きしたわよ」というので、其れを無邪気に後ろ盾にしていた。父方の祖父は75歳で心筋梗塞、祖母は79歳で大腸癌で亡くなった。曾祖父母は晩年まで矍鑠としていたが、「先代は運が良かった」と言った方が祖父母は心安らかだろう。離れて久しい親への信奉と長寿の謳歌と嫉妬の混じった複雑な感情を若い嫁を前にして吐露しただけの話だ。
 祖母が亡くなった平成の初めにはまだ、癌は告知してはいけない病気という意識が強かった。医療技術の進歩と共に告知が自然な流れとなった。医師として病状の深刻さについて何処まで説明すべきか迷ったとしても、病名は直球で告げられたのだった。

 3、40代は仕事の責任も家族内の負担も重くなり、女性としての身体にも変化があってストレスを感じていた。20代より忙しくなったのだが、生理的現象により排卵日前後にイライラして怒りっぽくなった。妹と喧嘩したり母の一言に当ったりする。できる限りその時期に重要な仕事を入れないよう調整する事も覚えた。
 その頃、子宮筋腫が出来た。良性の腫瘍で子宮の外側だったから月経量が著しく増加するような症状もなかったが、それまで大病をしたことがなかったから、急に筋腫が成長すると悪い事を想像して動揺した。それが治療しなければ死に至る急性骨髄性白血病を冷静に受け止められている。自然には治癒しない退っ引きならない病気に罹ったことが頭にズシンと響いたが、2度と取り払う事の不可能な事実として腹に落とした。後ろを振り返る事は出来ない。ならば無理やりにでも前を見よう。
 婦人科で血液検査をして病気は発見された。発病からの進行が早い急性骨髄性白血病は症状としてみられた倦怠感が「怠け」ではなく体調不良だと気づいても、例えば心臓や肺等に問題があるのとは異なり、何処に相談していいかわからず迷っているうちに進行してしまいかねない。血液の役割や免疫への理解は一般的ではない。症状から白血病かも知れないと気づく事はできないし、免疫力が低下している危険性を認識出来る事もない。「偶然、8月に検診を受ける事にしていなければ」、「倦怠感や仕事の忙しさで先延ばしにしていたら」、「婦人科で血液検査をしていなければ」手遅れになっていても不思議では無かった。幸運の分岐点だ。

1−1 何故発見出来たか

 入院当初、先生方から入れ替わり立ち替わり「どうして発見できたの?」と聞かれた。看護師さんの話では偶々血液検査で見つかるケースが多いと言う。急性のタイプは進行が早いから、年に一度の健康診断では取り零してしまう。
 入院後に水泳の池江璃花子選手の事を知ったが、慢性か急性か白血病のタイプは公表されていない。ただ個人的な実感としては発見が「早期」だったのは、恐らく僅かなタイムを伸ばそうとしている時に発症があれば、成績の不調とは異なる体調の変化に気づくのではないかと思う。それでも病気とは判らず「何故?」と言う気持ちになるはずだ。
 身体を日々意識していている選手とは違って、年齢を経ると少々の体調不良等は気に留めなくなる。責任の重さも足枷になる。知人の奥様は急性リンパ性白血病だったが、或る日突然倒れたそうだ。病名は気づかずとも自覚症状で病院に行くとしたら、相当に進行している状態のはずだ。
 治療中に「放置したら、どの位の時間が残されてましたか?」と質問するのは気が引ける。だが病状説明と検査データから恐らく1ヶ月あれば良い方だったと推測している。がんから卒業したら尋ねてみたい。

 子供の頃、夏目雅子さんが三蔵法師を演じた『西遊記』を欠かさず見ていた。1978−1979年に日本テレビで放送された。福音館書店『西遊記』(上・下)は初版 1975年07月15日(呉承恩作/君島久子訳/瀬川康男画)で3年程遡る。ページ数580ページを子供ならではの病中に何度も読み返していた。暫くは本の世界とTVの世界を往復して愉しんだ。
 もう一つ印象的だったのは1960年東映動画制作のアニメ『西遊記』。手塚治虫原作『ぼくの孫悟空』の映画化で、可憐なりんりんが吹雪の中を悟空の為に食べ物を運ぶ。孫悟空が五行山に閉じ込められていた時間を考えると、生きとし生けるものには本来不可能なはずの時間を耐え抜く。りんりんは雪の中に倒れるがラストの記憶が曖昧になっていて「物語のラストを孫悟空の恋人の死、という悲劇的なものにしたいと彼(手塚治虫は)は考えていました。」「しかし制作した東映動画の考えていたのは、あくまでも「子供たちを楽しませるため」の「ハッピーエンド」でした」(手塚治虫オフィシャルサイト)とある。それでも無邪気な悟空に対して、りんりんの姿は単に自己犠牲とか愛とかでは表現できない印象を抱かせた。西遊記花盛りの時代だ。

 白血病と言う病気を知ったのはこの頃だった。英語を教えて頂いていた先生が慢性白血病だったのだと思う。子供には大人が密やかに話すのを見ても何が起きているのか良くわからなかったが、先生の姿勢を思い出すと癌の公表さえ躊躇われる時代に勇気ある方だったと思う。治療法があるという事は研究や蓄積の結果であって、遡った当時の状況は今よりも厳しかったはずだ。だが現在でも白血病には様々な型があるから、治療の難しさの度合いや予後の予測は異なる。安易に「治る」と口に出来ないのはそう言う処にある。
 私の白血病の型は染色体の8番と21番の転座(一部が入れ替る型 t(8:21)(q22;q22.1)だが、暫く確定診断に至るまでを振り返ってみる。

1−2 知覚過敏?

 白血病とは関係ないが更年期を迎えると空腹時血糖が高めになり、毎年1kgずつ平均体重が増加した。母の兄弟姉妹が糖尿病という家系を意識していたから、何とか一念発起して1日平均1万歩を目指すウォーキングとラジオ体操で体を動かした。iPhoneのダイエットアプリを使ってバランスの良い食事も心がけ、甘味や炭水化物は総量を抑えていた。仕事をするには個食と言われても、料理と食事にかける時間を無制限に費やすわけにはいかなかった。料理はきちんとする方だったし、栄養バランスを心がけているつもりだったが、タンパク質や果物を節約した結果、炭水化物に偏っていた。甘いケーキも好きだった。
 ここ1、2年は体重が安定して緩やかな管理になってしまったが、梅雨前の5、6月は初夏のように暑くなる。疲れを感じるとアイスクリームが毎日食べたくなった。夏の風物詩だった麦茶のように冷蔵庫で冷やしたアイスティーを飲むと飛び上がる程、歯が滲みた。熱い料理も同様で嚙みごたえのある肉やパンを食べると歯が抜けるのでは無いかと感じた。

歯ブラシ

 7月12日。歯医者に行き「最近、知覚過敏があるんですけれど、年齢的な歯茎の後退のせいですか?堅い物を噛んでも痛いです」と伝えると、いつもの歯石除去と虫歯チェックの他に痛んでいる歯周辺のレントゲンを撮って確認してくれた。何ら異常がなかったので、先生は「右上の歯の裏側2カ所が軽い歯槽膿漏だから、血が出てもいいからよく磨いてねー」と言った。歯は元々丈夫な方で、余り苦労した事がなかったから年齢を意識して郷愁の風に吹かれながら帰宅した。歯磨きの際、出血するようにもなっていた。

 知覚過敏は益々酷くなり、熱い物を飲んでも、冷たい物を食べても「ひやん!」と飛び上がる。いつのまにか前頭葉の額部分に強い頭痛がする。普段、葛根湯くらいしか飲まなかったのに何も出来なくなるほど辛かったので、市販の鎮痛剤を飛びつくように買って飲んだ。鎮痛成分の少ないものは、頭痛が残って日常に支障が出るので1日で切り替えざるを得なかった。午前中は鶏たちの世話と卵の調整出荷をし、薬を飲んで昼寝をした。効いてきた頃に他の仕事を出来るだけこなす。40分くらいで終わる出荷調整作業に4時間かかったこともあった。12時間毎に薬を飲む。そんな日が2週間ほど続いた。「夏バテと極度に疲労が蓄積したのだろう」と病気だとは考えもしなかった。
 暫くぶりに母から「9月中に隔週2回、農産物直売所の販売当番をして欲しい」と言われた時、思わず「できない!」と言い放ってしまった。意識せずに無理なことを避けようとしたのだろう。緊急入院する2日前に歩いて片道約20分の友人宅に卵を配達した。「痩せたんじゃない?」友人は言ったが、体重が減ってはいなかったから深く考えることもなかった。

1−3 歯医者と婦人科を往復して

 9月2日、婦人科に定期検診に行った。更年期後半になってまだ子宮筋腫がずくずく成長していたので、心配で良性悪性の確認をしていた。予約システムがあって診察の順番は整理されているし、先生や看護婦さんも慣れてテキパキ仕事をされているのに、いつも待合室は満杯だった。

 今回は気になっていた事があった。女性にしか想像できないが、7、8月の月経量の最も多い日にふたつき続けて『多い日の夜用ナプキン』を昼間でも2時間ごとに交換しなければならないような状況が2日間続いた。それで予約の日が待ち遠しく感じられていたのである。「先生、気になるんです」と言うと、「んーそれはちょっと気になるわね。貧血の検査もしましょう」、「え?先生、生理が終わっても貧血は続くんですか?」と言いながら、婦人科の検査の後、看護婦さんに採血をして貰った。結果を見て先生は飛び上がったように「何故こんなになっちゃったの!」と声を上げた。去年11月末の国民健康診査では貧血の値に問題はなかったはずと考えていると、先生は「もしかしたら血液の病気か感染症の疑いがある。検査結果が1週間で出るから、婦人科の原因が無いかどうか確定してから考えましょうか」と言われた。
 いつも上品に話される先生が心配な事がある時、心底蒼ざめた顔をされる。医療に関わる人には様々な意見があるだろうが、先生は本当に心配してくださっていると感じる。結局は信頼関係だ。それで大丈夫だった時はホッとするのだが、「今回は違う気がする」と思いながら帰路についた。

 翌3日は知覚過敏に耐えられず歯科の再予約をしていた。先生に益々酷くなり頭痛もすると訴えると、歯茎が後退してしまった部位の一時的なケアともう1度、虫歯とヒビが入っていないかを確認してくれた。結局何の異常もなく、先生に頭痛の話をすると「それは歯医者じゃなく他のお医者さんに行ってね」と言う。納得できないまま爆然と「歯に関係する痛みじゃないのね」と次にどうしたらいいのかを思いつくことも出来なかった。
 歩いて西荻窪駅周辺に戻り、銀行の用事を済ませるともう夕食を作る気力も無かった。未だ17時前だったので大戸屋で食べられそうなものを探すことにした。西荻窪は個人店が多く、ファーストフードチェーン店以外は早い店で17時半、一般的に18時からディナータイムが始まる。それに痛みに耐えながら食べられるものが無いとダメで、店選びをする気力さえ失せていた。考えてみると自炊が億劫になり外食が増えていた。8月6日に友人のナミさんと吉祥寺で食事した時、「痩せた?」と言われた。不思議に思いながらも直ぐに忘れてしまった。

1−4 現れている症状だけで病名を推測する事は出来ない

 大戸屋で食べている時に知らない携帯番号からの着信があった。普段なら出なかったかもしれないが、何となく虫が知らせた。急いでできる限り迷惑にならない出口に行って電話を取った。「やっぱり数値が気になって。紹介状を書くから。明日は休診日だから明後日の朝出来るだけ早く取りに来てください。その足で大学病院に行って!何でもなかったら笑って帰って来ればいいから」と先生は一気に言った。その気配に「只事じゃない」と考えた。

 白血病は結局、現れている症状だけで病名を推測する事は出来ない。だから私の場合、8月に検診を受ける事にしていなければ、先延ばしにいていれば、婦人科で質問をしていなければ手遅れになった可能性が高い。最初の頼みの綱は血液検査だ。そして素早い判断。

 「血液の病気か感染症。でも感染症だけの症状とは思えない…」。家に帰るとiPadをひろげ、「白血球数多い」「貧血」「頭痛」等のキーワードを検索窓に打ち込んだ。ずらっと画面に並んだ検索結果は急性骨髄性白血病のものばかりだった。信頼できる情報収集先を選んだ。国立がん研究センターのホームページにある『急性骨髄性白血病の主な症状』 に書かれた①造血機能の障害(赤血球減少(貧血)息切れ、倦怠感など)、血小板減少((出血)あざ、歯ぐきからの出血など)、②白血病細胞が臓器に浸潤(歯肉腫脹、歯ぐきの腫れ・痛み)、髄膜への浸潤(頭痛)の症状が当てはまる。いつの間にか足には何か所もあざのような班が出来ていた。
「後は確定診断を待つだけ」そう感じた。

 素人判断はいけないが、そう感じたのには理由がある。数年前に学芸員資格を取得した際、杉並区民でも武蔵野市と東京女子大学(杉並区)の正規授業を受けられることを知った。2017年4月から武蔵野市の生涯学習の機会を利用して、日本獣医生命科学大学の動物科学科で動物衛生学(獣医学科)、動物防疫学、動物微生物学、有機農業論、動物免疫学、畜産施設論、鳥類家禽論、食品衛生学概論、動物生体機構学、動物資源科学概論を受講した。当然、養鶏業の更なる地固めが目的だ。動物と人間は違うと言うなかれ、動物免疫学と動物生体機構学の講義を受け、「免疫と白血球の役割」「骨髄の造血機能」等については概ね理解していた。急性骨髄性白血病だったらどういうことが起こっているかは判ったのである。
 だから少し紹介しておくと、政府はグローバル化に対応するため社会人の学び直しに力をいれている。武蔵野市はそれに沿って一般市民に大学でのリカレント教育の機会を開くため、武蔵野地域自由大学を設置している。特に正規授業を受けられるシステムでは、実習を除いて大学生と共に教室で学べる。平日の昼間に大学に通う時間を作るのは社会人には難しいのだが、社会での経験を経て、学生の頃と違う見方が出来る事に驚く。意識が変わると仕事も変化する。ぜひこのシステムを様々な人に気づいて貰い、利用される事を願っている。

コラム:白血球回復の気配は感じられるか?

 看護師さんに闘病記を書いていると話したら、「私たちも知りたいことがあるんです!」と勢いよく返ってきた。
 つまり私達、患者は様々な体験をする。看護師として病気によってどんな症状が出るか知識としては知っていても、実際に体験した事がないから、患者がそれをどう感じているのか知りたいと思っているのだそうだ。それが分かれば看護師さんが経験した別の事に当てはめて、その気持ちになって対処ができる。

 その第1回のお題は、白血病における「白血球回復の気配は感じられるか?」だ。これは言葉にするのが難題だ(笑)。

 治療中、抗がん剤により細菌やウィルス等の侵入と闘う白血球の数が最低レベルになる期間が1週間から10日間ある。その後、骨髄の中で新しい白血球細胞を造り、正常値へと回復する。お題はその最低レベルから白血球が作られ始めた変化を体感できるか、できるとしたら何を感じるかだ。骨髄の中でがん細胞が増殖して行き、正常な白血球がゼロになる前に命を落とすのが白血病。自然な状態で白血球がなくては細菌等と闘えず、命を保っている事自体ができない。無菌室があり、白血病の治療が可能になって初めてこのお題は生まれたと言える。

 体感したのは熱がなくても何処かが悪くなくても、風が和いだ湖面のように変化がなく重たい印象。反面、感染や熱、傷など悪い方にアクセルが入ってしまうと、ブレーキがかからずに何処までも行ってしまう怖い感覚。普段、免疫力があれば多少の事は意思の力で回復して行く安心感があるだろう。それが全く通用しない。お尻に傷ができて擦れて痛い。薬をつけても変化があまりない。熱が出て、解熱剤を飲んだり、点滴をしたりして一時的に下がっても薬が切れると熱が上がる。上がり切った熱が、昨日より今日と更に1度ずつ上がっても何処まであがるかわからない。
 白血球の数が増えてくると、微かに意思の力が働き出す。傷が自然に治って行く。熱が出なくなる。身体を動かせば回復する。体中に意思の力が満ちて動き出す。喩えれば、植物が眠る凍てついた冬が白血球がない状況で、寒さの中で芽が僅かずつ成長し始める気配がタイトルの感触。一気に芽吹き始めるのが回復のイメージだ。普段の状況の中で置き換えれば、何らかの病気で高熱が出たとする。最初、熱は一気に上がる。辛くて布団の中で汗をかきながら、いつかは治るだろうと思っているとなかなか熱が下がらない。早く治って欲しいと願をかけているのに変化がない。これが白血球最低レベル時期の状態。そのうち熱が下がり、ふらふらしながらも気力を振り絞って動き始めると自然と回復してくる。
 其れでも両者は近く見えるが、本当の意味では全く違う。免疫力があれば必ずバックグラウンドで働いている。意思の力は効いていないようで実は効いている。白血球ゼロはそれがない。私の感じた印象では普段、免疫力がある時よりも、抗がん剤による白血球ゼロの状態から回復してくる場合の方が静かにゆっくりと意思の力と噛み合って立ち上がってくるようだ。白血球の数と連動しているイメージだろう。

 辛い思いをしている患者からすると、医師や看護師は患者の痛みまでも知っていると思いがちだ。だが医学的に説明でき治療出来ても、数値や観察などで推し量る事しかできない。患者を理解したいと思ってもままならないもどかしさが医療現場にはあるのだろう。
 だから辛い時だが、体の変化に感覚を澄ませ、感じている事を少しでも、そして早く伝える事が大事だ。それが治療の結果につながるだけでなく、知見の蓄積が看護の質にもつながる。
 抗がん剤治療の3回目、4回目もじっと耳を澄ませ、此処に書き加えたい。より繊細な感覚を持たれている方はもっと細微な変化に気づかれるのかもしれない。
 宜しければ、どうぞコメント欄に御体験をお寄せください。