「西荻春秋」から見える「すぎなみ学倶楽部」の魅力

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 区民が録音機とiPhoneやカメラを携え、杉並の魅力を取材してウエブサイトに発信する活動。その媒体名を「すぎなみ学倶楽部」と呼ぶ。
 カテゴリーを「歴史、ゆかりの人々、スポーツ、産業&商業、食、文化&雑学、自然、特集、まち別検索、写真検索」に分類して掲載している。
 杉並区には、自治体、企業、団体、個人など、数多くのウエブサイトが存在する。商店や住民などに「あなたが知っている杉並のウエブサイトは(西荻春秋調査)」と質問すると、「すぎなみ学倶楽部」は圧倒的知名度を誇る。区が運営するウエブサイトだからだろうか。2016年に10周年を迎え、掲載記事は合計1000件を越えた。イベント活動など掲載から3年経過し、取材当時から内容が異なっていると判断した記事を3年前に30%削除して、現在、我々が目に出来る記事は1050~1060件になった。
目的と組織
 国は、地域参加を推し進める方針を発表した。団塊世代が退職して自宅に引きこもる現実、グローバル化や貧困、教師が手一杯な状況など、複雑化する地域の課題を人材の育成と活用で地域民みずからが解消する目的で考案された。
 その方針を受け、平成17年度に杉並区は、区民が好意度と愛着度、そして誇りを持って住み続けたい地域と思える町にしようと、杉並の魅力を内外に発信する「杉並輝き度向上」計画の取り組みを始めた。
 平成18年4月、「すぎなみ学倶楽部」は、その施策のひとつとして設置された。当初は、現在の杉並区協働推進課の前身であるすぎなみ地域大学担当課が担った。さまざまな杉並の魅力ある情報を、区民や他の地域に暮らす人々と共有し、発信することを目的とした、区が運営する区民参加型ウエブサイトである。
 元々は、杉並区役所区民生活部に協働推進課と産業振興課があった。協働推進課から事務事業が産業振興課に移管され、その産業振興課が本庁舎から荻窪に移転して産業振興センターとなった。「すぎなみ学倶楽部」は、観光的な要素も含まれるとの考えで、協働推進課から現在の産業振興センター観光係が担当することになった。
 杉並区産業振興センター・観光係は、「すぎなみ学倶楽部」運営などの事務を特別非営利活動法人TFF(チューニング・フォー・ザ・フューチャー/代表 手塚佳代子氏)と委託業務契約を結んでいる。その中には「区民ライターとの連絡調整」の一項も含まれている。
 観光係は、2か月に1回TFFと定例会議を開き、ウエブページの記事進行状況やアクセス状況の解析などについて討議する。そこでは、同分野が重複しないバランスのよい記事構成について、「クリック数、ページビュー、滞在時間」などの評価をどのように向上させるか、クレーム対策など、広範な内容が議題となる。
 観光係の近藤係長は「手塚さんは、『すぎなみ学倶楽部』の目的を理解するプロフェッショナル。他の自治体から、『区民参加型の公式ウエブサイト発信システム』を評価して視察の申し出もあるほどだ」と信頼を寄せる。
 ちなみに手塚さんは、制作会社に勤務した経験を生かし、人と情報をコーディネートするプロジェクトマネージャーである。TFF理事に加え、杉並区郷土博物館の運営委員も務めている。博物館からの報告を承認し、意見する役割を担う仕事だという。
過去と現在の記事を比較すると、当初の『すぎなみ学倶楽部』は、どちらかと言えば硬い表現が多く、長文記事が主流だったと記憶する。手塚さん率いるTFFが担当してからは、写真を大きく文章を少なくして読み物からインスタグラム風に転換したような印象を受ける。
 近藤係長は「ウエブサイトをどうしたらよいのか、区民ライターの記事を受け入れるだけではなく、ウエブサイトは多くの人に見られなければ意味がない。楽しい方向に成長したのではないか」と振り返る。
原稿づくりの現場
 区民ライターの目線で選んだ取材先を、TFFが整理して観光係に示す。近藤係長は、「読ませる記事ばかりでも嫌になる、写真ばかりでも物足りない、トータルバランスでよいウエブサイトを作ることを念頭に選択している」と語る。
 しかし、『ラーメン』をテーマにした情報、『ゆるキャラ』が伝える人気の『なみすけブログ』、『例大祭』日程などの情報、『貞明皇后 大河原家』や『中島飛行機』などの歴史記録、このような内容は注目度が高いので連載することもある。
 掲載テーマの方針が了承されると、いよいよ取材依頼に移る。区民ライターが先方に声を掛けるのが通例だが、観光係やTFFから連絡することもある。
 杉並区のウエブサイトなので一般人は勿論のこと、『時の人』や『著名人』も取材に快く応じてくれることが多い。元ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高氏も快諾してくれたひとりだという。
 公共サイトなので、原稿が特定の内容や団体に偏らないような配慮が必要だろう。また、歴史認識や思い込み記事は、異なる見解があり、事実を曲げる可能性もあるので神経を使わざるを得ない。
 また、「すぎなみ学倶楽部」にはウエブサイト多言語版(英語、韓国語、中国語)もあるので、TFFでは、翻訳しやすい文章にするため、マニュアルに基づいた指導を行っているとのことだ。
「すぎなみ学倶楽部」を開始して2~3年は、研究者たちがライターとなり、自らの責任の下で自由に原稿を作成した時代もあったと聞く。観光係やTFFの人々は何も語らないが、ブログ発行元である杉並区にもクレームが及んだに違いない。その防衛手段として、いろいろな管理基準を設けたのだろうか。

 TFFスタッフは、経験の浅い人、不慣れな人、緊張して上手く出来ない人、ルール違反する人などには、取材が終了してからでは間に合わない場合もある。手塚さん自らインタビューに同行することもあるという。

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 取材当時、観光係だった江崎(えさき)さんと出雲谷(いづもたに)さんも現場を訪れることがある。そして、TFFから届いた原稿を校正する。区の公式情報サイトなので、誰が読んでも解りやすい文章にすることを重視、また、余りに難しい言葉や漢字だと修正を入れることもある。
 このように重なる修正が入ると誤字脱字や誤認は解消されるが、統制された環境の中で個性がどれだけ発揮出来るのか、ライターのやる気を最後まで持続させられるのか、それが大きな課題となる。
「すぎなみ学倶楽部」に8年間関わり、これまで約40本の原稿を書き上げたベテラン区民ライター、中谷明子さんに訊ねてみた。
「私は、『すぎなみ学倶楽部』を情報サイトだと認識している。だから食の取材で『美味しい』ではなく『風味が豊か』と書く。『美味しい』という個人の気もちは、読者の気もちではないと考えるから」
 運営者よりも規制を遵守する意識が強いではないか。関わる人たちが一体となり、ルールを守る姿が印象的だった。
 更に、取材には高度な知識が必要だ。職人、芸術家、学者など、専門分野の話題を理解できなければ取材自体が成り立たない。手塚さんは「専門家の取材は、仕事についてインタビューするのではなく、杉並で何をしているかに主眼を置いている。大雑把に見て素人が理解できる範囲でよいと思っている。取材対象者に手間をかけた分、地域情報のプロである我々は、情報提供をしてお返しをするよう心掛けている」と言う。
 我々の「西荻春秋」の場合には、ボランティア活動とは言え、適材適所の人材をインタビュアーとして採用するか、適任者がいない場合は、時間をかけて勉強してから訪ねることにしている。
「すぎなみ学倶楽部」は、「区民ライターによる取材」が絶対条件だから致し方ない着地点なのだろう。
写真撮影の現場

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 写真撮影技術も取材には欠かせないスキルである。「西荻春秋」のカメラマンのキャリアは、約10年~40年以上のベテラン。それでも厳密に言えば満足な結果が得られるのは稀である。
 写真は、『思考、感性、技術』それぞれの要素が満たされて作品となる。『思考』とは撮影対象を学んで自分の撮影目的を決定する能力、『感性』とは自身の生まれ育った環境から構築される美意識、『技術』は撮影機材の取り扱いやライティング技術のことである。
 通常、専門学校では、これらの技術を2~4年かけて教育する。プロカメラマンレベルともなれば、学びきれないほどの奥深さがある。最近はデジタルカメラが普及して、誰もが簡単に写真を撮れる時代になった。しかし、それは写すだけのスナップで写真とはいえない。
 一般人のほとんどは、マニュアル撮影も可能なカメラではなく、全自動カメラやiPhoneで撮影している。ライティング技術に至っては、まったく考えもしないだろう。「すぎなみ学倶楽部」では、年に2~3回、カメラ講座を開催していると聞く。
 手塚さんは具体的な指示を出すこともあるようだ。それはやむを得ぬ究極手段だと思う。
 これら現場の状況から、区民参加型ライターの育成と対応の難しさが見えてくる。プロであれば未熟な者は、即クビにすることが可能だ。しかし、区民ライターのやる気をなくさないようにしながら、掲載可能レベルに達するまで補助しなければならないからだ。編集を担当する人達の苦労は相当なものであろうと推測する。
著作権管理
 著作権法は知的財産権のひとつで、著作権の範囲と内容について定める法律である。これまで知的財産に関して日本人は寛容だった。もめ事を嫌い、人間関係を維持するために、お茶を濁す日本人気質がそうさせていたのかも知れないが、知的財産権に関する認識の希薄さもあったように思われる。
 グローバル化が進むにつれ、誰もが権利を主張するようになった。日本特有の玉虫色の時代は終焉に向かっている。しかし、お茶を濁す意識は、変わらない、いや、変えたくない人も多いだろう。玉虫色は、ズルサもあるが優しさも含まれているからだ。著作活動では、その曖昧な気もちが著作権法に抵触する可能性もはらんでいる。
 最近は、ほとんどの人がコンピュータで原稿を仕上げる。情報入手もインターネットで簡単に取得でき、長文でもコピーは簡単だ。「コピペ」という言葉が定着するほど普及度は増している。
 現在、新聞や雑誌などの記事でも「コピペ」を数多く発見する。私事で恐縮だが、自分の著書が漫画本として無許可で使われる被害を受けた。原本を書いた者には、すぐに盗作だとわかる。著作権法違反として訴訟を起こすか否かの判断を迫られる。訴訟も地獄、黙っているのも悔しい、どちらを取っても嫌な気分になるのは避けられない。
 観光係の出雲谷さんは「著作権法などの配慮から記事に使う資料の出所は明確にしなくてはならないが、文章の読みやすさを大切にするため、挿入する場所に気を使って対処している」と語る。著作権講座も折々開催しているようだが、「コピペ」は、書いた本人にしかわからない。事実確認するのは相当難しい。これを実行する「すぎなみ学倶楽部」には、ただただ脱帽するばかりである。
「すぎなみ学倶楽部」在っての「西荻春秋」
 以前、私は「すぎなみ学倶楽部」のインタビューを受けたことがあった。それまで当サイトの名前も知らなかった。また、「西荻春秋」メンバーのひとり、窪田幸子さんも取材を受け、「すぎなみ学倶楽部」に強い関心を抱くようになった。
 私は、杉並を対象にしたドキュメンタリーブログ「西荻春秋」の編集を担当している。主なメンバーは、カメラマンやライターや学芸員を専門職とする人々、更には、それに準ずる人たちである。
 編集で難しいのは、仕事よりも人間関係である。取材先の快諾を得ても、実際にブログに掲載できるのは70%。
「西荻春秋」には決まりがある。ボランティア活動なので、取材先と記者が納得できる内容になるまで話し合い、調整が困難な場合は掲載を断念するというものだ。
 互いの意志を尊重して、どちらを選択してもよい関係を保とうと努めているが、そうそう綺麗事では収まらない。明らかに発言しているのに記事の消去を要求、更には記者の感想にまで口出しする取材先もある。
 一方、ライターは誤字脱字の校正は素直に受け入れるが、長年培ってきた人生観に触れると気分を害することもある。ある日、役所で定年退職した男性が「西荻春秋」に参加した。原稿を読むと全てインターネットからのコピー、しかも著作権を心配したのか、それぞれに転載先が記されている。まるで会議用の調査資料である。
 原稿としては成り立たず却下したが、これまで彼の人生で大切にしてきた「自分を露わにしない」という信念に触れてしまったようだ。可哀想に思えるが、怒りを収めることは出来なかった。以来、取材に慣れたプロフェッショナル、それに準ずる人材とメンバーを組むことにした。
「すぎなみ学倶楽部」は、膨大な記事をどのようにこなしているのだろう。人格の異なる区民ライターとどう向き合っているのだろう。そんな思いが何時しか好奇心に変わり、取材をお願いすることになった。
 取材を終え、気づいたことがある。「すぎなみ学倶楽部」は報道媒体ではなく、情報を媒介として杉並区と区民のコミュニケーションを構築する媒体なのだと。また、アクセス数が多いのは、単に区の看板で情報を発信しているからではなく、公共サイトでありながら世間の流行にとても敏感、考え方も柔軟でフットワークもよいから達成出来たのだと思う。
 杉並には「すぎなみ学倶楽部」を代表として、民族学的研究プロジェクトで上智大学社会学教授、ファーラ―・ジェームス氏が主宰する「西荻町学」、西荻窪の小さな情報を伝える「西荻丼」など、多数の優れたウエブサイトが存在する。それぞれが異なる目的とスタイルで情報発信している。
 私たちの「西荻春秋」は、昭和時代に脚光を浴びたドキュメンタリー・グラフ誌のブログ版と位置付けている。ブログとしては長文で事実を検証した上で、著者の意見を伝えることに主眼を置いている。写真は場面をイメージさせるツールと考え、一枚一カットを大切に撮影し、時間を惜しまず丁寧に仕上げている。

「すぎなみ学倶楽部」と「西荻春秋」は価値観が真逆のウエブサイトである。しかし、「すぎなみ学倶楽部」の存在あって、われらブログの確固たる道筋を確認できた気もする。互いに切磋琢磨して成長して行きたい。

文:奥村森 写真:澤田末吉

取材日 2016年10月25日

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金田一秀穂先生の西荻今昔

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 松庵生まれの国語学者金田一先生に西荻窪についてお話を伺うことにした。わざわざ松庵舎にお出で頂けるということなので、待ち合わせはJR西荻窪駅の改札口となった。失礼のないようにと約束の時間より早めに着いた私たちの前に、先生はすぐに現れた。先生は「アリャ」と思われたそうだが、もちろん早く来てよかった、と安心している私たちが気付くわけはない。早速、松庵舎に向かった。途中の道は先生が子供時代に駆け回った場所だ。
 住宅街を歩いていると、「この付近には大きな家があったけどみな小さな家に分けられちゃったなー。この近くに大きな桜の木があったんですけど、どうなったんですかね?」、と聞かれて、落ち葉や虫の手入れが大変で伐採されてしまった、と言う私たちの返事に残念そうだった。歩きながらいろんなことが思い出されるようだった。先生がひときわ懐かしそうにみえたのは、松庵舎の玄関前で五日市街道を挟んだ斜め向かいの三軒長屋を見た時だった。「あそこに竹屋さんがあって、本木さんというお店だったけど、文房具も売ってたんですよ。よく買いに行ったな」。お気に入りのお店だったそうだ。今は建物だけが残る。この近くにはもう一軒、松庵堂という文具屋さんもあったが、今はそこもない。
松庵と自転車

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 先生は昭和28(1953)年5月の生まれ。同35年に松庵小学校に入学した。中学は西宮中学校。この小学校の校歌が父上の春彦先生の作詞だそうで、この校歌ができるまでの興味深い話をお姉さんの美奈子さんが、同小学校の同窓会で話されているので関心のある方はこちらのサイトを見て下さい。

http://shouanshou-dousoukai.sblo.jp/s/article/170184036.html

「小学2年生、3年生のとき入院していたことがあって、健康な子供ではなかったけれども自転車で駆けずり回っていました。よその畑を通り抜けても誰に文句を言われるわけでもなく、のんびりしてましたね。自動車も危ないことなくて、道が舗装されていないから土ぼこりがすごかった。それが、ある日五日市街道が舗装されてびっくりして、家の前まで舗装されて愕然とした」。

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「隣の家が辻さんち(現在の一欅庵)で、うちと庭続きだったからよく遊びに行ったけど、そこの大きな防空壕で遊んで怒られたことがあった。危ないから大人は止めるでしょうけど……。そういえば中央線が土手の上を走っていたころ、線路にくぎを置いて叱られたこともありましたね。まさか電車が止まるとは思ってもいなかった」。そのころ、防空壕に入って探検ごっこをしたり、線路にくぎを置いたりする遊びはスリルがあって、子供たちの好きな遊びだった。恐ければ恐いほど思い出は鮮明だ。
「小学校の通学区域のそとにいくことは恐かったですね。武蔵野市との境の道は越えることはほとんどなかったです。心理的なバリアーみたいなのがあったのかな。ですから神社の縁日でも松庵稲荷神社はいったけれども、春日神社はちょっと遠いし、区域外の吉祥寺の武蔵野八幡宮にはいかなかった。久我山にもあったけど何か違う、怖いところでしたよ。不良がいてお金を取られるようなね。そういう危ないところでした。中央線の線路の向こうにあった薄気味の悪い道、知ってるでしょう?」。突然聞かれた。初めは聞いている私たちの誰も、どの道のことかわからなかった。
薄気味の悪い道と沼
「線路の向こうでさ、行き止まりの道でそこがロータリーになってるの。ただの路地なんだけど子供心にわけのわかんないみちで、誰かの屋敷跡かもしれないけど、幽霊が出そうな感じで気味悪かった。今のうち写真撮っておいた方がいいよ。なくなっちゃうよ」、と言われて翌日、現場に出かけてみた。確かに子供だったらそんな感じの道ではあった。ここは松庵小学校の通学区域の北の端になるところでもある。念のため法務局で調べてみると、ロータリーの歴史は詳しくはわからなかったが、明治後期、松庵村の農家であった窪田太左衛門が畑の一部を姉の夫に譲ったものだとわかった。お勧めに従って写真は撮っておいた。

 昭和30年代は屋敷跡ばかりでなく空き地や原っぱ、池などがあちこちにあって、子供たちの格好の遊び場だった。「池といえば、この道の近くだけど、吉祥女子高に行く途中に得体のしれない沼があったの。自然に湧いている池かどうかわからないけど。荻窪辺りは湧水が多くて、よそと違って水がおいしいといわれるんだよね。裏手に大きな池のあるお寺もあったんだけど、この間Google Earthで見てみたけど分かんなかったな」。この沼は現在の地図には載っていないので、杉並区立郷土博物館で調べると『杉並の川と橋』(研究紀要別冊、同博物館発行)に収められている論文「杉並の川と水源」(久保田恵政著)に次のように書かれていた。「鉄道施設用土採取跡地の池は、高円寺、阿佐ヶ谷の他に、西荻窪駅の西に線路を挟んで二ヵ所あった」。そのひとつが松庵窪(女窪)で場所が西荻北3-9と記されていて、先生の話している辺りになる。これは地元の昔をよく知る人で、甲武鉄道(現中央線)を走らせる土手を作るのに、必要な土砂を採った後のくぼみに水が溜まった池だ、と話す人もいて、おそらく湧き水ではないのだろう。

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松庵窪(女窪)付近から線路に向かって下っている坂と本田東公園

 ただ、現地に行ってみると、この辺りが吉祥寺方向に下がっていて、ここよりさらに低くなっている場所を見つけることができる。線路沿いの北側にある本田東公園だ。杉並区と武蔵野市との境界の道をあいだにして市側にある。ここが、雨が降るとよく水が溜まり、池のようだったという地元の人の話があって、あるいはこちらが「得体のしれない沼」だったのかもしれない。

恐い事件と懐かしい店々
「怖い話だけど、松庵稲荷のそばの交番でお巡りさんがナタか斧で殺されるという事件があったんですよ。犯人が捕まらなかった」。これも調べてみると、昭和41年7月27日未明の事件で、27日付の読売新聞朝刊に「交番の巡査殺さる」という5段見出しの記事で第一報が、同日の夕刊で詳細が報じられている。その交番は今はない。先生が13歳の少年の時になる。
 なにやら漫画の『金田一少年の事件簿』みたいな話題になったところで、金田一姓の読み方について耕助探偵にも登場してもらう。いまでこそ金田一姓はほとんどの人が正しく「キンダイチ」と読めるだろう。しかし昔はそうでなかったと、春彦先生は嘆かれていて、「戦後は、金田一耕助探偵のはでな活躍で、キンダイチという苗字をはじめから読んで下さる方がふえたのはありがたいことで、作者の横溝正史さんに千金を積んでも感謝したい気持である」、と『出会いさまざま』(金田一春彦著作集第12巻)に書かれている。余談でした。
「仲通りに、駅へ行く左側に豆腐屋さんがあって、向かいがこんにゃく屋さんでした。いつごろか、豆腐屋さんが火事を出して、それが生まれて初めて見た火事でしたね。梅村質店の子が同級生でした。そばにある床屋の佐藤さんで、雑誌『少年』の鉄人28号や鉄腕アトム、ストップ兄ちゃんなどの漫画を読んだりしてました」。
「昔のことは言い出したら、ああ、キリがない。時間がいくらあっても終わらないですね。『キングコング対ゴジラ』を見に行った映画館・西荻セントラルもボーリング場になって、それも今はなくなった。映画館の近くに高級プラモデル屋さんがあって、レーシングカーで遊んだこともあったな。駅の南口に向かう銀座通りに、不思議なことに時計屋さんが五軒もあった。おじいさんが奥の方にいて仕事していた。好きでよくのぞいたけど、そのお店もいつの間にかなくなっちゃった。この通りと五日市街道の角(今の広島カンランのところ)にヤマザキパン屋さんがあって、その隣がクリーニング屋さん、その数軒さきが食堂だった。ちょうど関東バスの停留所前だったと思います。オムライスとかよく食べたけど僕の食堂のイメージはこのお店ですね。五日市街道沿いには、魚屋さんとか好きで通った本屋さんとか、お店屋さんがたくさんあったけど、ほとんどなくなっちゃたですね。残っているのは高橋菓子店ぐらい。昔のことを知っているというのは、いいことなのか悪いことなのかよく分かんないですよね」。
西荻の今と三代目
 話題を今に戻して、西荻窪の魅力について語ってもらうことにした。「久我山のほうになっちゃうけど、ちょっと木が繁っていて武蔵野の雰囲気が残っているところ、西荻にもあるけど緑の多いところが好きですね。この間読んだ橋本治さんの本で彼が言っていたけど、西荻は隠れおしゃれタウンなんだそうですよ。そんなこと言わなくても、高円寺や阿佐ヶ谷もおなじだけど、駅前に安くておいしい焼き鳥屋があるのがいいですよ。西荻だと戎ね。狭くて小さくて昔風のバラックで崩れ落ちそうな雰囲気がいいですよ。いいよね、このいい加減さが、駄目さが好きですね」。

「そうそう、このことは言っておきたいんですけど」、と強調されたのは、「西荻に住んでいていいなと思うのは、金田一家三代目でよかったなと思わされることですね。床屋さんに行くと父の髪型がこうだったとか、すし屋で父の好みがこれこれだったとか話をされると、浮ついた名前だけの関係という感じでなく、なんか地に足の着いた安心したお付き合いができて、この地に生まれた三代目ということを実感できることがうれしいですね」。

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 今の日本語の状況について尋ねると、「若い人は若い人なりに自分に合った言葉を使っている。間違っていても自分の気持ちにぴったり合う言葉を使っている。それはどうしようもないことですね。でも、大人は違う。間違った言葉を使ってはいけない。大人は注意してもらえないですから。政治家の言葉使いはひどいものだし、団塊の世代はたかが言葉じゃないかと思っているようで、どうしようもないですね」、とこれまでの話ぶりとは違った、きっぱりとした口調でいわれた。

 取材が終わるころ、「今日は西荻なので早めに行って、水のおいしい西荻でうまいコーヒーを飲もうと、楽しみに来たのに、降りたらもう来てるんだもん。アリャと思って、行きそこなっちゃったよ」、と言われてしまった。おいしい喫茶店があるのも西荻の魅力の一つですね。お会いしたとき、そうとは知らず松庵舎に案内してしまい失礼いたしました。よく通った喫茶店ということなので、帰りに寄られたことと思いましたが、戎かもしれないという声もありました。先生、早く行き過ぎてすみませんでした。

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文: 鈴木英明 写真: 澤田末吉

取材日 2017年6月26日

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